こんにちは。理工学群2年の相楽駿です。
今回は、前回の続きとして吉沼と上郷に触れていきたいと思います。
私は、社会工学類で都市計画を専攻しようとしているので都市の歴史について考えるということで歩いて感じた吉沼・上郷の歴史を語っていきます。
皆さん、日本酒は好きですか?
僕は大好きなんです!!
筑波山麓から流れるきれいな水とそこから育つ美味しいお米からつくばでは昔からお酒の製造が盛んなんです。そんなつくばのお酒の中で霧筑波というものが有名で吉沼に酒蔵があります。(ちなみにこの写真は吉沼市街地に入るところのコンビニに飾ってあった酒樽です)
酒蔵がある浦里酒造さんは明治10年から146年続く老舗で、今回この町のことについてお酒を買ったついでにここのお店の人に伺いました。(辛口でおいしいお酒でした)
吉沼はもともと伊達藩の飛び地で周囲の村落とは街並みが変わっていたそうです(他の地域の人によく言われるそう)。
実際他の地域に比べ古い建物も多く、また集落によって場所が明確に分かれており道路にもここから~集落と明記されていました。街を歩いて感じたのは吉沼は他の地域と比べ街道沿いに町が発展しているというよりも小さな町がいくつも集まっているという印象でした。さらに聞くところによると小貝川沿いに昔は古い建物が多かったが明治期になって今のエリアの街並みになったそうです。また、昔は栄えていたが筑波大学周辺の発展と伴い、町が衰退し蔵元がここだけになったとのことでした。
浦里酒造さんの話を聞いた後、町を歩いてみると町には提灯がいくつも飾ってありました。これは、7/21,7/22に行われる吉沼祇園祭のもので、1トンの御輿や太鼓山車による囃子が出るそうです。左の写真は、神輿がある八幡神社です。お賽銭箱の前神輿の大きな土台のようなものがあり、祭りの時期が近いことを実感させられました。この神社の本殿は茨城県下における江戸時代初期の代表的な神社本殿建築といえるものだそうです。境内には、ブランコがあり子供たちの遊び場である公園のような機能がありました。時間があえば行ってみようかなと思いました。
皆さんもぜひ!
続いて上郷についてです!途中によった和菓子屋のおばちゃんの話によると上郷は吉沼と違って江戸時代は徳川の領土だったそうです。また、街並みは街道沿いに建物が並び、南北に縦に長いため場所によって区分がなされているそうです。実際には、吉沼と同様に祇園祭が行われる際にも出す神輿がエリアで異なっており、北部では神輿が出る一方和菓子屋があるエリアでは神輿が担げる人が少ないため神輿は出さないそうです。その神輿があるのは、上郷では有名な下の写真の雷神さまを祭る金村別雷神社で関東三雷神に数えられているそうです。ここは、終戦後までは参道の両脇には旅館料理屋等が約30軒ほど軒を連ねて鳥居前町が栄えていて参拝者にあふれていたが川のわきにあり、河川法により人家等の移転により現在は周りには何もなく草が生い茂っていました。しかし、毎月第二土曜日には境内で骨董市をやっているため賑わいはあるそうです。
この地域では、神社が影響力を持っている一方お寺はどのような状態なのか周辺の方に尋ねたところ明治時代の神仏分離、廃仏毀釈によりもともとこの土地にあった大きな寺社が取り潰されたそうです。しかし、お墓に関しては神社とお寺双方で現在もあるそうです。前回の記事で説明した川口公園の隣にある歓喜院(下の写真)は味のある門がある建物です。ここは、元禄年間に創建された寺院で元は普門院と呼ばれていて、天正年間にこの土地に移ってきたそうです。山門だけが古く感じるのは、他の建物が明治時代に焼失してしまったためだそうです。
このように吉沼では明治期のまちの形成、上郷では明治期の神仏分離・廃仏毀釈とこのエリアには明治期に大きな転換点があったことが住民の話により分かりました。歴史がある街だと思っていてもその歴史の中でも町の変化が大きく起きていることに気づかされる街歩きでした!自分のまちの歴史について関心を持ってみると見え方が変わったりして面白いことに気づくことがあるかもしれませんね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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