皆さんこんにちは。筑波大学工学システム学類環境開発工学専攻3年の石田絢斗です☺
前回は上郷にある金村別雷神社の建築デザインについて執筆させていただきましたがいかがだったでしょうか?まだ読んでいないという方は上郷にお越しの際は是非参拝してほしい神社ですので一読していただければ幸いです。
さて、上郷建築ブログ第2弾ということで今回注目するのは上郷の寺院「歓喜院」「随翁院」です!
その前に…実は大きく異なる「神社」と「寺院」
皆さんは神社と寺院の違いは知っているでしょうか?人生の大先輩方は勿論承知のことであろうと思いますが、墓参りという習慣になじみのない我々若年層においては地図記号が異なるという点以外この二つが混同していることが多いと思います。(現に僕も高校までそうでした…(笑))
まず「神社」とは”神様が住む場所”を示しており、神道を主とし崇拝対象は森羅万象・様々な人など多岐にわたります。一方で「寺院」とは”僧侶が住み教義を勉強する場所”であり仏教を主として様々な宗派がありそれぞれに教典が存在します。
「神社」には神主と巫女がいるのに対し「寺院」にはお坊さん、尼さん、住職がいるのも違いでありますし、参拝方法においても2者はまったく異なっており前者では”2拝2拍手1拝”が基本とされていますが、後者では”合掌”あるのみです。
さらには祈る内容も異なっており、現世での幸せを願うのが神社・死後の極楽浄土を願うのが寺院なんです。
近年若い人を中心に神社仏閣巡りが流行っています。いろんな神社・寺院をめぐる際も上のような違いに気を留めながら回ってみてはいかがでしょうか?
2つの寺院の門の装飾が美しい卍
まずは歓喜院に赴いた
今回の現地調査は12/8(日)の午前中に行われました。この日は空気も澄んであり雲一つない青空で非常に心地が良かったです。
まず初めに歓喜院に行ったのですが、立ち寄る際川口公園にて車を駐車したところ公園内でこんな景色が…(笑)
川口公園内風景(2019/12/8)
歓喜院はこの公園の駐車場から坂を上がって数分のところに立地しており下のようなたたずまいをしていました。
歓喜院 正面写真(2019/12/8)
上郷の歓喜院は1558年~1570年に創建され、1573~1592年の間に現在の地に遷された真言宗の寺院です。明治初年に不慮の火災によって山門以外が焼けてしまい復旧がかなったのは1981年、宗祖弘法大師1150年の御遠忌を迎えるにあたって記念事業として建立したといわれています。
つまり…これからお見せする美しいもんは焼けずに現存する貴重なもの(驚)
それがこちらになります!
山門写真(2019/12/8)
門の前方には人やカゴ、鳥のほか両側には竜があしらわれています。
その間に掘られた樹木の彫刻も非常に細やかで美しいです。
後ろには獅子が彫刻されているのでお見逃しなく。
随翁院を訪れると…
歓喜院から車で5分くらい運転したところにもう一方の神社が現れました。公園側から行くとスムーズに行けたのでこれはおすすめです。
随翁院 正面写真(2019/12/8)
随翁院は1465年に豊里町大字上郷字山下に創建されその後1513年に現在の地に移転された曹洞宗の寺院であり、禅宗寺院の建築様式を持ちます。
そんな神社の山門は1826年に建てられたものであり、それがこちら。
山門デザイン(2019/12/8)
上2枚が正面から見えるデザインで、左の写真が後ろから見えます。
歓喜院のデザインと比較すると、獅子や竜などの主に彫刻されるキャラクターに共通点はあるものの配置は歓喜院と異なり前後ともに左に獅子・右に龍のデザインがされており、後ろから見るとゾウの彫刻がみられます。
また、こちらの龍は少々強面ですね(笑)
実はこの「象」がポイント!
歓喜院・随翁院、この二つの寺院は宗派が異なります。歓喜院は真言宗なのに対して随翁院は曹洞宗なのです。曹洞宗では本尊をお釈迦様(釈迦如来)としており、釈尊は白い象の姿になってマヤブニンの胎内に入り誕生されたとされています。ここでゾウのデザインがあしらわれているのもこうした宗教概念のあらわれなのではないでしょうか。
終わりに
今回は門に着目して記事を書かせていただきましたが、どれもじっくり見ていられるくらいデザインとして美しかったです。僕は特に歓喜院の樹木デザインが細やかで好きでした。今後お立ち寄りの際は寺院本堂だけでなくそういった周辺の細部にも目をやってみてはいかがでしょうか?
本日もありがとうございました!またの投稿をお楽しみに!
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